山に魅せられて


 山は悠久の時が創り上げた自然の芸術作品である。
  遠くから眺めると美しい姿の山も、入り込んでみると美しさだけでなく、実に様々なことを教えてくれる。五感が研ぎ澄まされ、全身で険しさ、厳しさ、迫力、荘厳、 畏怖を体感する。一方で山は、多くの生命をはぐくむ宝庫でもある。
  私はそんな底なしの魅力を持つ山で“生きる”ことの奇跡を実感し、日本画家として絵を通してそれを伝えていきたいと思って いる。

  作品を創る上で大切なのは説得力であり、見る人に信憑性を持って伝え、感動を与えることだと思っている。そのためにも、現場へ行って山の本当の姿を知る必要がある。そこで私の場合、絵を描く前に普段の体力づくりから準備が始まる。

  いざ山を登り始めると、実にいろいろなことを考える。大自然の中では緻密な計算など役に立たないことが往々にしてある。何でも制覇できると思っている人間の愚かさを知ることもある。可憐な高山植物が咲き乱れる花畑には心癒されるが、ひとたび機嫌を損ねると容易に人を寄せ付けない姿に変貌し、おごる者には容赦なく牙をむく。
  だから山を登ることによって、 判断力や危機対応力、知恵が養われ、謙虚になれるのだと思う。
  重たいリュックを背負ってつらく長い上りを一歩一歩踏み出しながら頂を目指す。私は、その一分一秒の積み重ねこそ大切な意味を持つように思う。登っている時、自分の足もとに流れ落ちる汗を見ながら、“人生の縮図”を 感じることもある。
  つらさに負けて、その歩みを止めたければ止めてもいいが、ただそれでは何も変わらない。つらくとも気力を振り絞って目標に向かう一歩一歩が忍耐力を培い、目標を達成した時は大きな自信になる。 私にとって山登りは、自分自身との闘いであり、自分と向き合い、未だ見ぬ自分を知ることにもなっている。

  先日、8年ぶりに北アルプス標高3180bの槍ヶ岳に会いに行った。今回の目的は、初めて飛騨側に位置する西鎌尾根というルートから槍ヶ岳をとらえることである。
  そしてもう一つの目的はこれまで何枚も槍ヶ岳の絵を描いたが、迫力や威厳などあの山が持つエネルギーといったものが少しずつ自分の中で風化してきたため、 もう一度しっかり間近で見て “体感”しておくことだった。
  風が抜けない、うっそうとした 樹林帯の中にある登山口からスタートした。登っていくと、生息する動植物が標高に応じて変わっていき、それに伴い景色も違ってくる。背の高い木からだんだん低い木、草へと移り変わるため、徐々に視界が開けて周りの山々が見え始める。そんな地点まで登ると、 風が吹き抜け、その爽やかさに生き返る気がする。
  やがて可憐な高山植物が姿を現 し始めると疲労は一気に消える。 岩の隙間に咲く小さな花たちの存在によって、きつい山も登り切ることができると言っていい。
  稜線に向かって急な登山道を上っている時、突然の雷雨にみまわれた。2日目も天気が悪く、目的地ではガスがかかって視界がなかったり、吹き荒れる強風の寒さに震えたり。少々の困難はあったが、雲の引くのをじっと待ち、執念で何とか3枚スケッチ をすることができた。

  その夜は山頂直下にある山荘に宿泊した。就寝中ふと目覚め、 星が見えるか気になり、防寒仕度 をして小屋の外に出てみた。
  夕方までかかっていたガスはすっかりなくなって晴れ渡り、煌々と輝く満月が眼前の槍ヶ岳を静かに照らしていた。天空にはカシオペア、ペガサス、スバルなどの無数の星々が広がっている。それらを背に宇宙へ向かってそびえ立つ槍ヶ岳。その岩肌は月明かりを受け、 隆々とした筋肉のような妖 しさを発していた。
  この世のものとは思えないような世界。恐ろしいくらいの迫力に息を呑んだ。まさに私が長年描きたいと思っていた世界だった。
  槍ヶ岳はこれまで何枚も描いてきたはずなのに一体、何を描いてきたのだろう。何を思い、何を見ていたのだろう。今までの絵は小手先の技術に過ぎなかったのではないだろうか・・・
  そんな思いにかられ、あらためて大自然への畏敬を実感した。理屈じゃない現実なのだ。その現実にどれだけ心の眼を開き、気づくことができるか。そして、その感動こそ絵にして伝えたいことなのだと痛感した。
  大自然からまた一つ重要なことを教えられた。私にとって山は人生の師なのかもしれない。

作品に繋げる思い
 生命・・・山や地球の歴史からみると比べものにならないほどの小さく短いたった一つの命、この世に生まれてきた奇跡、全ての命にはそれぞれの寿命があって必ず死を迎えることになっているのに、その期を待たずに自ら、または他の力によって唯一無二の奇跡である命が摘み取られることに私は憤りを禁じ得ません。人間社会という域を脱し、もっと引いて地球という全体を見ることさえできれば人々が悩み争う暇などないことに気づくはずなのに・・・と山から天を仰ぎ見て宇宙に棲んでいることを実感できた時強く思うことです。

  

古澤洋子


 

 

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